他にもネタはあれども、昨日結構個人的に衝撃的な出来事があったので思わず優先。
mixiにて、一部では超有名なお方から、コミュの掲示板でレスを頂いてしまいました!同じコミュに入っている人(あとべさんあたりかな?)やこのblog見てないだろうけどMakeITのokbo氏なら名前間違いなく知っていると思われますが。
その方とは、内藤さん。名前だけじゃわからないか。ARPGの元祖といわれ、当時の国産パソコン、ゲーム機の大半の機種に移植された、『ハイドライド』シリーズのプログラマです。僕が小学校〜中学校時代にはまっていたゲームの作者と、mixiで会話が出来るとは!
80年代を通じてパソコンさわっていた人なら、西のT&E、東のFalcomということで、ハイドライドシリーズやドラゴンスレイヤーシリーズを楽しまなかった人はいないでしょう。もちろんドラスレは東の伝説のプログラマ、木屋さんの作品ですね。まぁちょっとひねくれた人なら『夢幻の心臓』シリーズしかやってないとかいう人もいるかも(笑)もちっと古い(^^;人なら『デゼニランド』や『サラダの国のトマト姫』でしょうか。
ちなみにコミュでもちらっと書いたけど、僕がやった時のハイドライドのメディアはROMでもFDでもCD-ROMでもなく、テープでした(笑)若い人には信じられないだろうけど。最初に買ってもらったパソコンがアスキー、というか西さんが提唱し、マイクロソフトに持ちかけた統一規格、MSXで、松下のCF-2700という機種。一応グッドデザイン賞を取ったしゃれたデザインのパソコンでした。これで2400bpsくらいのデータレコーダつないで、20分くらいかけてテープからロードして、はじめてハイドライドが動くのでした。後にROMカセット版も出たけどね。ゲームやるにも一苦労。Windowsが立ち上がるのに時間がかかる、とかいう人いるけど、1,2分なら早いもんです(笑)昔は忍耐強くないとパソコンなんてさわれなかったよ。ロードしてもエラーで落ちたりすると、また最初からやり直しだし。
ハイドライド2は友人宅のPC-8801mkIISRにて若干。難しすぎてクリアならず。その後自宅にPC-8801FHを買ってもらったので、そちらでハイドライド3をプレイ。何度もクリアしたなぁ…。
まぁともかく、かつてのスタープログラマが、普通に本名だして当時の裏話をコミュでしてくれてるってのは、やっぱりスゴイことですよ。この調子で(?)永作博美が自分のコミュに顔出してくれないかなぁ(笑)
ちなみに『白線流し』コミュでは、神社の息子、慎司役の中村竜君がたまに書き込みされてます。現役の役者さんがリスク取って書き込みしてるのはやっぱりすごいなと思います。彼の場合はプロサーファーがメインのお仕事になっているみたいだけど。