盧溝橋と中国人民抗日戦争記念館に行ってきました。

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今日はお昼にCarrieと待ち合わせて、盧溝橋(中文名:卢沟桥、英文名:MARCO POLO BRIDGE)と中国人民抗日戦争記念館に行ってきました。

12時近く、青空の下に出たとたん痛みが...。ものすごく寒いのです。多分マイナス2度くらい。数日前から天気予報で、今日が一番冷え込む日と言われていたのですが、青空で太陽がさんさんと輝いているのにマイナスの気温って...。

五道口からバスに乗って向かいます。途中1回乗換て、約1時間ほどで到着出来ました。バスについては北京公共交通集团のサイトで非常に便利なルート検索機能があり、それを使って調べておきました。

『抗战雕塑园』というバス停で降りたら、目の前がその抗战雕塑园です。抗戦に関する彫像が多数ある、きれいに整備された公園でした。

ものすごい寒さの中、公園を歩いて抜けると、その先に盧溝橋があります。ひとっ子ひとりいませんが...。この橋を渡るには20元、入場料が必要です。僕らは学生なので割引で10元でした。

橋の欄干には501体の獅子像があり、全て表情やポーズが違うそうです。さすがに全て写真に撮ってはいられないので、まとめて1枚。

マルコ・ポーロが東洋一美しい橋、と表しただけあって、なかなか良い橋です、激寒でなければ...。

盧溝橋歴史館、というのも併設されているので、寒さ対策もあって中に入ってみました。

盧溝橋、といえば、日本人なら盧溝橋事件を、中国人ならば七七事変を思い出します。名前は別ですが共に同じ事件をさしています。1939年7月7日、盧溝橋近辺で起こった発砲事件のことで、これが直接の引き金となり、日本軍と中国国民党政府軍が戦争に突入しました。

そういった歴史も含め、約900年にわたる橋の歴史について、資料が展示してありました。

橋を出て目の前にある宛平県城に入ってみます。ここは高い塀に囲まれた城塞都市。激寒のせいか、こちらも人がほとんど出ていません。

この中に、中国人民抗日戦争記念館があります。日中戦争は中国と向き合っていく上で、避けては通れない出来事。この記念館は北京にいるうちに観ておきたいと思っていた場所の一つでした。

ここも入場料が必要です。中国人と外国人で値段が違うそうですが、学生証を見せたら無料でチケットをくれました。愛国教育の一環のため学生には無料で開放、ということなのでしょうか。

中はかなり広く、8部に別れて時系列に展示がされています。最初の方は既知の歴史的事実を中国側から描いたものでしたが、日中戦争のまっただ中に日本軍が中国人民にした過酷な仕打ちに関する展示はかなり見ていて胸が痛むものでした。また他の中国人見学者達に、日本人だとばれないように、と思ってしまいました。

香港科技大学の中国人の友達にも、北京に来て知り合った中国人の友達にも、学生時代に学校行事でここを訪れている人が少なからずいます。それでも日本人である僕と仲良くしてくれている、というのは本当にありがたいことだと改めて思いました。僕が中国人で、この記念館を見ていたら、やっぱり日本人に対して少なからず嫌悪感を持つと思うし、友達づきあいは容易でないと思ったから。

実際Carrieの清華大学で知り合った中国人学生は、日本人嫌いで友達にもなりたくない、と公言している人もいるそうです。

日本軍が行った仕打ちについて、中国側が発表している数字の面などで誇張されている部分もあるとは思います。でも問題の本質はそうした数字の違いではなく、非戦闘員であった人々をさしたる理由もなく犠牲にしたり、細菌兵器を用いたり、という所だと思います。戦争をして勝った負けた、だけであれば日中間にここまでしこりが残らなかったのでは、と思うのです。

仲の良い中国人の友達にもたまに「なんで日本人は南京で大虐殺をしたんだ?」と問われることがあるのですが、僕の方がなぜそんなことをしたのか、当時の日本軍に聞きたい、と思って答えに窮しています。

一通り見終わった所で、大量の香港人に遭遇。広東語を話しているから、だけでは香港人と決めつけるわけにはいかないのですが、彼ら(多分高校生)は男子も女子もみんな動物をデザインした帽子をかぶっていたので...。この手のかわいらしい、というか幼いデザインのものを平気で身につけられるのは香港人男子のみだと思います(^^;。Carrieも「あれは絶対香港人」と断言していました。

帰りもバスで帰ろうと思ったのですが、バス停がすぐに見つからず。寒すぎるのでタクシーで帰ろう、と提案し、帰りはさくっとタクシーにて帰ってきました。

タクシーの中で2人で感想を話していたのですが、2人とも気がついた一つ興味深い点がありました。それは「中国国民党」に関する記述がばっさり落とされていること!

中国共産党としては中国国民党(後に台湾政府を作った政党)は不倶戴天の敵。また新中国(中華人民共和国)を作った中国共産党としては、国民党が日中戦争時重要な役割を果たした、というのは描きたくない話なわけです。

そのため記念館の中では、日本軍と果敢に戦い、勝利したのは八路軍(共産党による軍隊)である、ということを盛んに描いていました。実際には第二次国共合作以後、中国共産党の軍隊は国民党政府軍の1部隊として位置づけられ、それが八路軍なのです。

そういった背景も一切語られていませんでした。歴史とは本当に恣意的なものなのだなと実感。

帰ってきて、五道口にてCarrieとお別れ。彼女は体調悪かったのに激寒の中つきあってくれました。感謝感謝。