利用者に頼るアーキテクチャ

こないだ東京に行った時に思ったことです。

首都高環状線を車で走っている時、その複雑なコースに走り屋魂に久しぶりに火がついたのですが(笑)、複雑すぎるために環状線を走りたくないという人が多いのもわかるなと思いました。

首都高環状線は、右側だけじゃなく左側からも合流してくる路線が多く、またたくさん分岐点があるため路線変更する車が多いため、走りにくいわけです。分岐点も右に行ったり左に行ったり。

こんなに複雑な道を走るのは頭使うな、と思ったんです。今はナビがあると人に変わって考えてくれますが。

これって東京の地下鉄も同じで、たくさんの路線が複雑怪奇に乗り入れているため、出発駅と到着駅がわかっていても最適なルートを考えるのは非常に大変。

これらはみな、利用者に頼ったアーキテクチャだな、と改めて思いました。利用者がある程度賢く、また文字が読めるからこそ、複雑な路線を利用出来ると。例えば識字率が低かったら、例えば利用者の教育水準が低かったら…こんな複雑なアーキテクチャは利用出来ません。

もちろん、識字率や教育水準が低い利用者が多い場合は最初から利用者に頼れないことを前提にアーキテクチャを作るのだと思います。だから今の東京の交通機関は日本人には使いこなせても、外国人には酷。英訳をつければいいという問題ではないのです、実は。

もちろんこれは良い悪い、ということではなく、お国柄が現れてることなんだと思いますが、外国人をもっと日本に惹きつけよう、と考えるなら、抜本的に何か対策を考えないと、このような「見えないバリア」が高すぎて惹きつけられないじゃないかなと思いました。