石巻ボランティアトリップ5日目

朝はやっぱり早起き。7時には起床。朝御飯を簡単に済ませて、8時にはヘルプ東北の車を借りて香港チーム出発。

行き先は隣町の女川。石巻以上に壊滅的なダメージを負ったところです。女川の漁港辺りは、既にがれきは相当片付けられていますが、再建がまだのため、荒れ地と化しています。

国や地方自治体の再建方針が確定していないため、とかいう話ですが、あまりにも寒々しい風景です。早くなんとかならないものでしょうか。

また、こちらのビルはごろっと横転してます。普通考えられない倒れ方。

自然の脅威の前では人間は無力だ、と思い知らされます。100年に1度、もしくは1000年に1度と言われるこの手の災害には、どのように今後立ち向かうべきなのか。この程度の頻度のために巨額の資金を費やして対策を練る(八つ場ダムのように)のは現実的ではないし、かといって何もしないわけにもいかないだろうし。悩ましい問題です。

女川の後、石巻市の中心部もついでに見てきました。僕は運転手だったのでまったく写真は撮れませんでしたが、それでよかったのかも...あまりにも悲惨な風景でした。街中の信号もまだまだこれから復旧、という感じで、警官が手旗で交通整理中です。

12時ちょい前にボランティアセンターに戻り、お昼ご飯。その後、ボランティアセンターは先週から始まったコーヒー&ケーキによるカフェ。これは被災された方々への奉仕活動の一環。コーヒーやケーキを楽しみつつ、心の癒しを行うというもの。クリスチャン独特の方法論です。

聞き役として日本人の僕がそのお手伝いをさせて頂きました。ここでも被災された方々の生の声を聞くことが出来ましたが、ここに来られている方々は既に心が前向きになっている方が多く、体験談を躊躇わずに共有して下さいました。

16時頃、とうとうお別れの時がきました。僕ら香港チームは仙台から新幹線に乗って東京へ向かうため、ここヘルプ東北のボランティアセンターを離れるのです。

たった4日間しかいれなかったけど、非常に濃密な時間を過ごし、ヘルプ東北の皆さんとも、香港チームのみんなともいわば戦友的な、心の絆が出来ました。であるが故に、本当に別れがたいです。皆それぞれFacebook等の連絡先を交換したり、写真を撮り合ったり。シンガポールチームも来て、大撮影大会になっていました。

ヘルプ東北の皆さんはこうして日々国内外から集うボランティアの対応に追われているそうで、実際の再建作業には殆ど入れない状況とか。この話を聞いたとき、僕は1997年に富山県山田村で行ったふれあい祭を思い出しました。あの時は1週間で80名程度のボランティアだったけど、日々集う学生達のスキルや車の有無、パソコンボランティアを行うお宅のご要望などを照らし合わせ、毎日手配表をくみ上げていったモノでした。

でもここヘルプ東北では、あのような作業が今後も数ヶ月、場合によっては年単位で続くかも知れない。そう思うと、この終わりの見えないボランティア活動に従事しているヘルプ東北の皆さんの苦労を思うと共に、暖かく迎えてくれたことに本当に感謝です。

山田村を去るときのように、ヘルプ東北を去るとき、寂しい思いをしました。姿の見えている間、送り出す方も、送られる方も、ずっと手を振っていました。

JR石巻駅からバスで2時間ほどかけてJR仙台駅へ。ここから新幹線で帰京です。新幹線で、香港チームともお別れ。今夜からばらばらなのです。名残惜しいためか、隣に座った香港人女性と韓国人女性と3人で一睡もせずに東京駅までしゃべりっぱなし。楽しい別れとなりました。