【10】土浦〜北茨城〜裏磐梯

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二日目は朝早く起きて朝食を頂く。昨日に引き続き豪華な朝食。昨日もお母さんからずいぶん丁寧なおもてなしをいただいたなぁと感じていたのですが、どうやらそれはこちらのおばあさんからの遺伝だったらしい(笑)。ある意味分かりやすいのです。

8時半頃だったでしょうか、早々に出発。早速常磐道に乗って北茨城までかっ飛ばします。1時間で着きました。北茨城には中学時代からの友人がいるのです。4月に結婚したのですが、その結婚式以来。奥様は既に身重でした(^^;)。家は新築。大変分かりやすい「幸せな家庭」を目の当たりにして、実はちょっと戸惑ってしまいました(苦笑)。

お二人には「裏磐梯、桧原湖のあたりに行きたい!」と前もって言ってありましたので、リクエスト通りに早速三人で出発です。常磐道から磐越道へ。今年の一月に一緒にスキーに行った道のりなのですが、雪が無いと全く印象が変わります。まるで全く別の場所へ向かっているかようです。2時間程で五色沼に到着しました。すごい渋滞です。

そこから更に北上。桧原湖の北の端に早稲沢という場所があります。ここは僕が以前から一度訪れたいと思っていた場所です。この早稲沢は「小椋」という姓の家が多く、民宿もガソリンスタンドも商店も全て「小椋」なのです。お察しの良い方はお気づきと思いますが、僕が尊敬するアーティストのうちの一人に小椋佳さんがいます。小椋さんの本名は神田さんなのですが、ペンネームの小椋はこの早稲沢から来ているのです。早稲沢でのエピソード等は割愛します。そのうち気が向いたら書きます(笑)。

帰りに地元の魚屋さんで秋刀魚と鰹と牡蠣を買いました。鰹は脂がのった戻り鰹。牡蠣はレモン絞って、昨日牛久で買ったワインと一緒に食します。贅沢です。そんな贅沢な時間を茨城の北の端の海と星の見える丘の上で共有しながら、秋の夜は更けていくのでした・・・。

翌朝、奥様は出勤日だったので、朝食を頂き、僕も早々に失礼しました。また懲りずに邪魔しに来るから、と言い残して。

帰り道、野口雨情記念館に寄りました。何度かこちらに遊びに来たことがあったのでその存在は知っていたのですが、中に入ったことがなかったのです。「七つの子」「兎のダンス」「赤い靴」など、誰もが知っている童謡を多く作曲した方です。自分も合唱をやっていたので、知っている曲が多くありました。改めて詩を読むと、なんとシンプルなんだろうと感じました。メッセージが分かりやすい。「赤い靴」に関しては様々な資料が展示されていました。これは実話で、モデルになった女の子も存在するとのこと。横浜の山下公園にも女の子の銅像があるそうです。

人の温かみと、食事に恵まれた三連休でした。僕にとってはちょっとした小旅行でしたが、想像以上のものを手に入れることが出来たと思います。今回の旅行で触れ合った全ての人、物に「ありがとう」を言いたいです。そしてこの快感を更に重ねてしまうと、僕の放浪癖は決して治らないのであろうと、一層強く確信するのでした。

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このページは、もりもりが2001年10月 8日 23:04に書いた記事です。

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